私は何故子どもが欲しくなったのかという話。

私は6年前に結婚してから最近まで「自分の子どもを持つ・持たない」についての決断において、ずっと先延ばしにしてきました。

どうして先延ばしにしたかというと

  • いつかは作ろうかな〜、とは思う。
  • けれども、今は自分のために時間を多く使いたいから、子供を持つことが煩わしい。
  • 自分のようないい加減な人間は、いい親になどなれない。親になる自信がない。
  • かといって、子供を持たないと決めてしまうのは不安が残る。


という感じで、迷走していたからです。


夫殿の考えは

「できたらできたで、できなかったらできなかったで良いんじゃない?」

というスタンスだったこともあり、子作りに関する決断は先延ばしのまま、年月を重ねていきました。


周囲との会話で子どもの話が出た時は、その場その場で調子を合わせ、でも一人では迷い続け

「『子供が産めない体』だと診断されて、周囲にそう言えた方が楽そうだなぁ」

なんて失礼なことも考えていました。


私たち夫婦の場合、私の実家(とくに実母)の方が「早く子供を産みなさい!」攻勢が凄かったです。夫の実家からそういうことは一度も言われていません。夫の両親も何かしら思う部分はあったと思うのですが、その辺りは気を遣ってくれたのかなぁと今では思います。


しかし

  • 私の父が病気になったり
  • 私の祖母が老人ホームに入ったり
  • 義理の父と実の母を立て続けにガンでなくしたり
  • 自分の環境が変わったり(鬱になってパート勤めをやめ(今はもう元気)、専業主婦へ)
  • 夫殿も私も30代も中盤にさしかかってきたり


というできごとが、子作りについて真剣に考えさせるきっかけとなったのです。


そのなかでふと

最後は誰でも『おひとりさま』だ。
        ↓
老人ホームの職員さんなど、おひとりさまの生活を支える様々な人材はかなり高い確率で『よそ様』の子。
        ↓
人材は、子どもを産み育てることでしか作り出せない。
        ↓
だったら、自分も子どもを産んで、よそ様を助けるような人材を育てないと、フェアじゃない。


と思ったとき、今までの迷いがスパッと消え「子どもを作ろう!子育てをしよう!」と決めました。それが今年、結婚6年目の時です。


そこまで深く考えなくても、「自分の子どもが欲しいから」という理由で子作りされる方が多いのだろうとは思いますし、欲しい欲しくない以前に「子どもが出来ちゃった」という方もいらっしゃると思います。


ただ、私が子作りを決心するのに「自分が納得できる理屈」が欲しかったんですよね。「自分が子どもが欲しいと思う根拠」が。


自分の性格として

「誰かに何かをしてもらうならば、自分も誰かに何かをするべき」


という考え方があり、自分の置かれた状況を鑑みたときに

・自分たち夫婦には子どもを作り、なんとか育てる環境がある。
・社会を担う人材を産み出せる可能性があるのなら、私達はそちらの側に回ってみたい。


と思ったのです。


「フェアじゃない」という表現に

  • 自分の子どもを作りたくても作れない人がたくさんいる。

(授からなかったり、病気だったり、経済的理由だったり、相手がいなかったり、同性愛者だったり、等々)

  • 自分の子どもを持たない自由もある。
  • そもそも自分の子どもを作れるような環境にない。

(仕事や介護、自分の趣味に忙しい、等々)

  • すべての親がいい親だとは限らない。

(虐待したり、過保護・過干渉な親など)

  • 子どもが嫌いな人もいる。
  • 五体満足な子ではなく、障害のある子だって生まれる可能性がある。
  • 自分の子どもが立派でまともに育つとは限らない。犯罪者にだってなる可能性もある。

などというご指摘は、あってしかるべきだと思います。


けれども、子供がいる・いない、作る・作らないの関係なく、大人は何かしらの形で子育てに関わっているんじゃないかと最近思うのです。

・子どもを作り、産む側に回る人(親)
・子どもを家庭で育てる側に回る人(親や里親、親族など)
・子どもに社会性をつけさせる側に回る人(親や先生、地域の大人、年上の友達など)
・子どもに知識をつけさせる側に回る人(親、学校の先生や習い事の先生など)
・子どもが健康で安全に生活出来る手助けに回る人(親、医療者や警察、消防、地域の防犯ボランティアなど)
・子どもが豊かで便利に生活できるよう手助けに回る人(親、出版社や玩具メーカー、博物館の学芸員など)
・税金を支払うことで、子どもや子育ての手助けに回る人(税金を支払うべき人全員)


という役割を、それぞれ分担しながら生きている。それが世の中を継続をさせているのではないかと思います。


子どもがいない人であっても、生活していく限り、何らかの形で誰かに助けてもらうことは避けられないのですから、子育てや教育に関心を持ったり、子どもに関わることは、結果として「自分が受けるであろうリスクや困難を軽減している」と言えるんじゃないでしょうか。


私達夫婦はこれから、子供を産み、家庭で育てる側に回ってみたいと思います。今一番足りないのはこの係だと思うので。


もし自分達の子供を産むことが出来なければ里親として育てる側に回り、それも出来なければ私は子どもに関わるボランティアや仕事に関わってみようと思っています。


子育てはみんなですること。親が主体性を持って行うのは当然ですが、親や教師以外の大人も積極的に関わることが実は、モンスターペアレントや虐待と言った子どもを巡る問題の打開策につながるような、そんな気がしています。