女である自分のややこしい感情

私の人生において大きな影を落としているのが高校時代のドロップアウトなのですが、それを克服できた出来事というのがありまして、けれどもそれは決して人様に褒められるようなすがすがしい事ではなく、むしろ「人として良いことなの?」と指さされるようなことなのですが、勢いに任せて書いてみようかと思います。

ここで、私の昔話をします。

田舎の中学校で上位の成績をとっていた私は、かなりの天狗女になっており、デブでブサイクというのは今と変わらぬものの、それなりの努力もしたこともあり、(進路志望の選択肢に「国立文系志望・国立理系志望・私立志望」しかないような)県下一の進学校に進みました。

これで私のプライドも頂点に達したわけですが、県下一の進学校という場所はその県の優秀な同年代が集まる場所であり、そのなかでまた絶えず競争とランク付がなされる場所です。

県下一の進学校に入ることが目的で満足してしまった私は勉強にもついて行けず、目標もなく、デブサイクは変わらず、目立とうとあれこれ頑張っても空回りするなか、徐々にドロップアウトしていきました。

高校3年の夏に自分のいろんな事に行き詰まって風邪薬をオーバードーズしてしまったあと、私は学校を休みがちになります。クラスの同級生が受験勉強に邁進する中、私は布団に入って眠り、テレビをダラダラと観てはお菓子を食べ、祖母に嫌みを言われケンカしながら、外とのつながりを断っていきました。

とりあえず大学受験をやってはみたものの見事に浪人し、予備校にも入りましたがこちらもついて行けませんでした。そこからいろんな紆余曲折を経て奇跡的に結婚し、結婚後もパートで働いていたのですが、私の中に変に染みついた「進学校出身」のプライドと「大学に進まなかった」コンプレックスは抜けませんでした。

そんななか、mixiで何度か高校の同期女子と出会うことがありました。

そして互いの近況を報告し合ったときに、地方の国立大学に進んだ彼女たちの何人かが、結婚や出産で専業主婦やパート主婦になっている事を知ったとき

国立大学に進んで就職しても、結局のところ女が結婚・出産で行き着く先は今の自分と同じパート主婦か〜。

と気が楽になったんですね。

「挽回できないほどの差が付いたと思ったことが、実はそうじゃなかった」というホッとした感じを今でも覚えています。

そしてそれは、自分が嫌悪する「女社会」「女性に対する保守性」の価値観に、自分がしっかりと染まっていたことを教えてくれたのでありました。