妊娠・出産は思い出作りじゃなく、人間の日常的な営みの一つ。

予定日超過のため、来週誘発分娩することになりました。

さてさて、最近目にした記事二つを読んで考えたこと。
自宅出産ブームに「出産は自己実現の場ではない」と美人女医苦言 - BIGLOBEニュース 自宅出産ブームに「出産は自己実現の場ではない」と美人女医苦言 - BIGLOBEニュース
【産科医解体新書】(121)「自宅出産は死亡率3倍」 論文の警告に耳傾けて+(1/2ページ) - MSN産経ニュース 【産科医解体新書】(121)「自宅出産は死亡率3倍」 論文の警告に耳傾けて+(1/2ページ) - MSN産経ニュース

自宅出産や水中出産など、安全性を無視した場所で産んだり、安全性を無視した産み方で出産する人達は、医療体制の整った安全性の高い場所で産まずに「敢えて」リスクのある産み方を選ぶ自分達に酔ってるようにしか見えないです...その「敢えて」の部分にやたらと優越感を覚えてるのがみえみえで、正直言って鼻につきます。

実は、私も妊娠する前に凄く興味を持ってたんです。自然派育児とか自宅出産とか開業助産院での出産とか。理想を突き詰めすぎて「自然&昔ながらのものは何でも素晴らしい!」的な思考に陥っちゃったんだと思います。

自分が物語のヒロインにでもなったような気分で、「わざわざ」やらなくてもいい困難を作り、それを乗り越えて産まれた命って素敵だわ!そしてそれをやり遂げた私って素敵でかっこいい!みたいな。脳内お花畑満開で、救いようもないバカも良いところです。

しかし、妊娠・出産・育児の現実を多少なりとも耳にして勉強するようになってから「いかに自分本位で子どもや夫のことを考えない産み方を選ぼうとしているのか」と猛烈に反省しました。

もちろん、安全性の高い場所でしっかりとした医療設備&医療スタッフのもと、積極的な医療介入を受けた上でも亡くなる子ども&妊婦は今でも存在しています。そして安全性を無視した産み場所&産み方でも、無事だった妊婦&子どもがいるのも事実です。

けれども、安全性を無視した産み場所&産み方は、急変が起きたときの危険があまりにも大きすぎることを勉強して知りました...

一刻一秒を争う事態の中で自宅&助産院から病院に救急搬送したくとも、現在の産科医療の人手不足&過酷な労働環境では病院が自分達で受け持っている妊婦や子どもの対応をするだけでも手一杯で、他所からの搬送をすぐに受け入れられるだけの余裕なんてないんです。他所からの搬送を受け入れてくれる病院があればそれは奇跡なんです。

本来なら医療で救えたかも知れない命を、親のエゴや無知によって失うのはあまりにも無責任だと思います。

日本の産科医療は医療者達の良心と無理によって成り立っていることを、産科医療を受ける側である妊婦やパートナーはもっと知るべきじゃないでしょうか。
無知は無茶に通じ、無茶は無理に通じるのです。無知だから平気で無茶ができ、無茶をするからいろんなところに無理が生じる。結果としてそれが自分の首を絞めることになります。

偉そうなことを、それこそ「敢えて」言いますが、妊娠・出産は自己実現でも思い出作りでもありません。人間の日常的な営みの一つであり、連綿と続く命の始まりじゃないでしょうか?妊娠・出産のあとにはそれよりも長い育児が待っていて、あくまでもスタートラインに立つということじゃないでしょうか?

妊娠・出産を非日常のイベントのように捉えず、世界一安全に出産に出来る日本の環境は、産科医療の進歩とそれに関わってきた医療者達の努力の恩恵によるものだということを肝に銘じつつ、私は改めて出産に望む覚悟を強くした次第です。<追記>
安全性を無視した産み場所&産み方を選ぶ人達に対して何で私がこんなに怒っているのかというと、子どもや自分の命を危険にさらしてることとと、こういう人達も結局自分達の手に負えなくなったら最新の産科医療に頼るわけで、そうすると本来ならば真面目に病院で妊婦検診を受けている妊婦に対して向けられるべき人的資源と貴重な時間が彼女らによって奪われるっていうのがすごく許せないんです。これは飛び込み出産する未受診妊婦にも言えますが。
 
自己完結できないし、する気もないのなら、最初っから産科医療を受けて欲しいです...

他の人も大丈夫だったから自分は大丈夫なんて驕りもいいとこだよ。