産みました。生まれました。(ちょい改変&追記)

2/10の午後4時12分に女の子を出産しました。しかしながらここまでの道のりは長く、険しかったです...

出産の経過を記憶の限りに書くとこんな感じになります。

2/7午後:入院。子宮口にラミナリア(海草で作られた棒で、水分を含むとふくらむもの)を12本挿入。(膣の中を針で刺されるような痛みが走りました。)

2/8LDR室(陣痛・分娩・回復を1箇所で行う部屋)入室。ラミナリアを抜くと子宮口4cm拡大。陣痛促進剤点滴と分娩監視装置装着。陣痛が訪れるも不規則で、腰と肛門に激痛。いきみ逃しの呼吸を何度もつづけるも悶絶。結局子宮口も6cm程度しか開かず。夕方になり促進剤投与中止決定。病室に戻り休息。

2/9:再びLDR室入室。陣痛促進剤点滴と分娩監視装置装着。医師の内診中に破水。子宮口8cm程度に開いて今晩中に生まれるかもという話だったがやはり陣痛不規則で進まず。陣痛を進めるため絶食→絶飲食決定。どうも腰のところが広がらず、陣痛が来る度に腰と肛門のところに子どもの頭が当たって激痛。夕方になっても変わらず。この日も促進剤投与中止決定。結局、日付が変わるまで不定期ながらも陣痛が収まらず。あまりの痛みと体力消耗に思わず当番の先生に暗に帝王切開をお願いするも、冷静にリスク判断されてスルーされる。(苦笑)陣痛が少し治まりなんとか病室に戻り休息。

2/10:3日目のLDR室入室。絶飲食2日目。この日から今度は陣痛を強くする薬を投与するも、子宮口6cmのまま変わらず。腰と肛門の激痛続くも陣痛不規則のまま。昼頃になっても子宮口広がらず。内診に来た当番の先生に思わず「もう無理!耐えられない!」と懇願。午後1時頃になって、医師より予定日を超過していることと分娩が進まないことを理由に帝王切開を勧められ、夫婦共々同意。ふらふらになりつつ同意書にサインして手術の準備。午後3時過ぎより手術開始。腰から下に局所麻酔をされ、午後4時12分に娘を出産。その後縫合などで午後5時過ぎに手術終了。病室へ。

今まで経過が順調だったのですが、最後の最期で自分にとっては大変な出産になりました。この4日間付き添ってくれた夫殿曰く「あの痛さに耐えられるお前って凄いな」だそうです。

正直いまとなっては遠い日の出来事のようになりつつありますが、その中でも印象深かったことと言えば、いろんな先生やら看護師さんやら助産師さんに内診(膣に指を突っ込まれて様子を確認する)され、これが膣内を指2〜3本で奥までグリグリ回すのでもの凄く痛いんです!もう一つは、私のお腹の肉が多いのとちょっと動くので分娩監視装置(通称:モニター)の電極パッドがずれまくり、看護師さんに「赤ちゃんが元気かどうか監視するための大事な機械なのでずれないように気をつけて下さい!」と怒られたことですね...orz

誘発処置から出産、そして回復まで結果として10日間入院したのですが、出産後に待っていたのは陣痛&絶飲食&手術&鉄欠乏貧血による体力消耗と意識朦朧でした。

出産後4日ぐらいは頭がぼーっとしてだるさが取れませんでしたが、分娩先は母児同室が基本のため手術翌日より母児同室になり、フラフラの状態で娘の世話を開始。

担当の先生や助産師さんや看護師さんからいろいろと説明はされるのですが、ぼーっとして何一つ頭に入らず、特に分娩先は完全母乳至上主義で色々と授乳の指導をされるも、自分の体調が悪いので何もかもが嫌になり半ば切れそうでした...

先週退院しましたが、入院中の鉄剤点滴と退院後の鉄剤摂取が効いたのか、自分の意識はハッキリしています。体力はいまのところ普段の70%ぐらいでしょうか。体重は13kg減少。元々の体重が多すぎなので、むしろこれよりさらに減って欲しいです。

退院後もいろいろと大変な日々を送っているのですが、それはまた別の話なので後日改めて書こうと思います。

大変でしたが母子共に無事に帰れて本当に良かったです。

分娩先の病院もシステムがいろいろ面倒だなとか食事は今ひとつとか思いましたが、たくさんの医師・看護師・助産師が付いていて安心すると同時に、あれだけの体制を維持していくには現在の産科医療の報酬ってむしろ安すぎると思いました。普通に100万円ぐらいかかっても仕方がないなって心から思います。あんな大変なことが結婚披露宴を挙げるより安いのも、日本の医療技術と健康保険制度のお陰なんですね。

最後に、妊娠中ずっと気に掛けてくださった皆様、本当にありがとうございました!これからが始まりなので、体力付けてぼちぼちやっていきますね。