志村會・中野サンプラザ・昼の部
先程まで、フジファブリック・志村正彦のお別れ会「志村會」に参列するため、中野サンプラザに行ってきた。
正午過ぎに到着すると、中野サンプラザ前の広場には献花をかかえた人々の行列ができていた。
係員に誘導されながらコンサートホールに入ると、ステージの真ん中に大きな志村の写真が掲げられ、その下には花で富士山を模した祭壇が作られていた。
祭壇の真ん中、ちょうど富士山の中腹辺りに、これも花で模した真っ赤なギターが作られ、富士山の麓部分には志村が使っていたギターとアンプが並べられている。
左右の袖には蓋のあいたギターケースがそれぞれ二つずつぐらい置かれていて、入場時に渡されたメッセージカードを入れるようになっていた。
黒地に赤みがかったオレンジのテープが巻かれた中折れ帽をかぶり、シルバーのジャケット、白のワイシャツ、青みがかったグレーのツータックズボンをはいた志村は、右手をズボンのポケットに突っ込み、左手は中折れ帽のつばを軽く持って、まるで「どうも」と挨拶しているようだった。
ステージの様子は、ナタリーで確認できます。
http://natalie.mu/gallery/show/news_id/26607/image_id/30492
外で並んでいたときは笑い声さえ聞こえていたのに、コンサートホール内に入るとそれはすすり泣きに変わっている。
私がコンサートホールに入場した直後は、遺されたメンバー3人が献花を終えたところで、それに続くように前列の座席から献花が始まる。
座席で待機している間、志村へのメッセージを書き、BGMに流れる志村の歌声を聴いていた。時には口パクで口ずさんだりもしながら、ただぼーっと聴いていた。
献花が進み、私も待機していた座席を立って少しずつステージへと進む。
近づく度に、遺影の志村は様々な表情をみせる。
こちらを見ているような、あさっての方向を見ているような、にらんでいるような、不敵な笑みをうかべているような。
いよいよステージの前に来た。
ステージ向かって左右のブロックにある座席は関係者席になっていたが、右手のブロックの最前列には、志村のご両親やご親族と思われる方々がいらっしゃった。そちらに向かって深く礼をする。
ステージ上は献花の山になっていて、その明るさがまるで照明のようだった。
献花をしたとき、急に涙が出た。「なんでこんなに早く…」と胸が詰まった。
ステージ向かって左手の袖、ギターケースの後ろにそっと、中学校の卒業アルバムが飾られていた。同級生からだろうか。
ホールを退場すると、志村会と印刷されたチケットと志村のステージ写真が印刷されたポストカードをもらう。
ロビーに出ると、志村のステージセッティングが再現されていたようで、たくさんの人が写真を撮っていた。私も撮ろうと思ったけれど、人の多さに諦めて会場を出た。
さよならを言えて、本当に良かった。ご家族や関係者の皆様に心から感謝申し上げたい。
しかしながら、時の流れとともに今日のことも、志村のことも、志村を喪った悲しみも薄れてしまうだろう。
それはとても残酷で非情だけれど、それでいいのかもしれない。
目の前の生活を大事にしつつ、時折は先に逝った者のことを思い出しては懐かしむ。
そして自らの持つ命の最後まで生きる。その程度のことしか、私には出来そうもない。
日々の生活のなかでふと、志村のことを思い出したら、またフジファブリックの曲を聴こうと思う。
そうやって、生きて行こうと思う。